アトリエオーク知多美術教室
樫下 稔
人生”好きなことをやってみよう”
自己紹介
<strong>得意なこと</strong>
絵を描くこと。
<strong>自己紹介</strong>
【樫下 稔】両親は静岡県出身、親の仕事の関係で愛知県佐織町にて1952年2月21日出生届、その後愛媛県今治市、兵庫県赤穂市、大阪守口市、三重県楠町(現四日市市)と転勤を重ね小学校3校、中学校2校を転校、そして三重県の県立四日市中央工業高校を卒業。
名古屋市西区にある御幸毛織株式会社に就職、電気関係の保守に8年間従事し電気工事士、第3種電気主任技術者等の免許を取得するも1976年のインド旅行をきっかけに日本画と出会い自分の人生の目標を見つけました。
樫下が当時住んでいたアパートが名古屋市西区秩父通り交差点近くでした、そして偶然にもインドツアー団長が西区稲生町にあるお寺『安性寺』の住職【八神信勝】さんでした。
【八神信勝】さんは住職の傍ら日本画団体『創画会』に所属し『案性寺』内に日本画教室『アトリエプチ』を運営していました。
その頃人生に嫌気がさし自堕落な生活をしていた【樫下 稔】は引きつけられるように日本画教室『アトリエプチ』で心機一転日本画修業を始めました、その後『日本画』の世界を極めるため1978年から2年間の河合塾美術研究所での浪人生活ののち1980年、28歳で愛知県立芸術大学に入学、日本画を専攻しました。浪人時代また学生時代にはいろいろな先生、先輩にお世話になり1986年、34歳で大学院終を終了。その後色々なアルバイトをしながら日本画を書き続けました。名古屋アートスクール付属ビーナス美術研究所にて主任講師/カルチャーセンター講師/他愛知県の高校美術非常勤講師等を歴任。
日本画作家活動では日本美術院(院展)に所属、他個展、グループ展各種開催。また名古屋城修復再現模写の一員に4年間加えていただき日本修復学会にも所属しています。
その後1998年愛知県東海市にて『アトリエオーク』を設立、2005年に愛知県知多市に【アトリエオーク・知多】として移転。
現在日本画作家活動とアトリエオーク知多にて後進の指導に当たっています。
<strong>趣味・マイブーム</strong>
絵を描くことしかありません。
役職/活動開始
床掃除から指導まで
この先生の教室情報
この先生の教室の習い事
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