料理教室&Bistrot RIANT-りあん-
川名克典
和の鉄人道場六三郎氏の元を飛び出し、パリとNYで出稼ぎフレンチ修行してきた職人。
自己紹介
<strong>得意なこと</strong>
料理小説、フランス料理、日本料理、陶芸、10トン車の運転。
<strong>自己紹介</strong>
多摩美の建築科に受かったのに、陶芸の道へ走ってしまった。
大型ダンプの運ちゃんで稼ぎながら轆轤をひく生活。
「俺、陶芸家になる」と母に言えば一言、
「陶芸家では喰って行かれないからやめなさい」と。
刹那、返答した。「じゃあ料理人だ」
それを聞いた母が、知人に漏らしてしまった。
なんと後で知れば「道場六三郎氏」の友人だった。
陶芸=北大路魯山人=和食と思っていた僕は、
迷わず「銀座ろくさん亭」に入る。
全て即断即決だった。
そして二年後、道場氏の料理の自由自在に感化され
一人飛び出した。まだ見ぬフレンチの世界へ。
麻布界隈のレストランのドアを叩き「飛び込み営業」するも
未経験では断られるばかり。25歳になっていた。
とある一軒で連絡先を置いて行けと言われ、
一月後クリスマスのスタッフに雇われて
フレンチ稼業がはじまった。
それから3年、紆余曲折しながらパリ行きの大韓航空に乗った。
片道切符と手持ち資金は35万円だけだった。
すぐに仕事を見つけなければ帰ってこられなくなる。
そんな思いが通じたのかここでも飛び込んで営業をかけた。
当時二つ星「ジャックカーニャ」から、一月後、採用の連絡。
それから一年後。僕はパリ郊外場末のキャフェでシェフをやっていた。
バブル崩壊後にフランスから帰国。
憧れていたレストランシェフの仕事が無い。
知人から「料理教室のシェフやらない?」と声をかけていただいた先が
料理家井上絵美氏の経営する「青山Amy's」という教室だった。
そこではじめて教壇に立ち、
職人として現場で覚えたその全てが生徒の役に立てると知った。
そんな最中、授かった子供が「先天性胆道閉鎖症」。
独立自営すれば一緒にいる時間が長くなる。
ただそんな思いだけで、中目黒で小さな一軒家レストランをオープンした。
<strong>趣味・マイブーム</strong>
一年中ニットが好き(笑)
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